No.154 《屋久島縄文杉》

〔鹿児島県熊毛郡屋久島町〕
          【平成24年9月23日(日)撮影】


● 縄文杉登山 〔鹿児島県熊毛郡屋久島町〕

◆ 荒川登山口

午前6時15分
「縄文杉に会いに行くぞ!おー!」

《屋久杉とは》
日本での杉の南限が屋久島です。その南限で一般に樹齢が300年ほどと言われている杉が、2000年、3000年もの長寿の杉になるのは、年間4,000mmから10,000mmもの多雨に恵まれている屋久島の特殊な自然環境と、屋久杉の樹脂の特性が起因しています。屋久島の土台は花崗岩で栄養分が少なく、杉の生長が他の地域に比べ遅くなります。すると、年輪の幅が緻密になり材は硬くなります。そうなることで樹脂道に普通の杉の約6倍ともいわれる樹脂がたまります。この樹脂には防腐・抗菌・防虫効果があるため、屋久杉は長い年月の間不朽せずに生き続けられるのです。また、硬質・防腐・抗菌・防虫などの特性をもつ屋久杉は古くから珍重され、屋久杉の平木がそのまま通貨になった時代もありました。

 通称、樹齢1000年以上の杉だけを屋久杉と言い、1000年以下を小杉、植林の杉を地杉と区別しています。その屋久杉は、標高にして600m以上から1300mくらいの所に多く自生し、1200m前後に巨大杉が多く見られます。


◆ 小杉谷橋

 午前7時30分
(出発からの所要時間 1時間15分)

小杉谷橋を渡ると、かつては屋久島の林業の最前線基地として繁栄した小杉谷集落。今は当時をしのばせる学校・集落跡が残るだけ。


◆ トロッコ道(屋久島森林軌道)

大株歩道入口まで約8kmの道のり。ほぼ平坦だが、枕木の間隔がマチマチで歩き辛し。


 

◆ 三代杉

 午前8時35分
(出発からの所要時間 2時間20分)

三代杉は親子三代脈々と生き続ける杉で、島でも珍しく貴重な存在。

今よりおよそ3500年前に一代目の杉が生えて約2000年生き、二代目はその倒木の上に偶然発芽。親木を肥やしとし約1000年生き、三代目は株より芽を出した一本の苗が成長し、現在500年しかたっていませんが輪廻転生を覚えさせる樹として保護されています。


◆ 仁王杉(阿形)

 午前9時10分
(出発からの所要時間 2時間55分)

 10mほど先にある吽形は平成12年の台風で倒木。


〔鹿児島県熊毛郡屋久島町〕
【平成24年9月23日(日)撮影】


 

◆ 大株歩道入口

 午前9時50分
(出発からの所要時間 3時間35分)

なだらかなトロッコ道斜面から、いよいよ登りのきつい斜面へ


◆ 翁杉

 午前10時05分
(出発からの所要時間 3時間50分)

険しい登山道に入り、最初に対面が出来る巨木。


◆ ウイルソン株

株内部から見上げた、ハート型の天空

 午前10時13分
(出発からの所要時間 3時間58分)

樹齢3000年、根廻り32m、胸高直径4.39m、胸高周囲13.8m。
古株の中は空洞になっていて、小川が流れて 広さは10畳ほどの大きさ。
1586年(天正5年)牧村の五郎七が足場を組、豊臣秀吉の命令により京都の方向寺建立の為に切ったとされている。
米国のウイルソン博士によって世界に知らされたのでこの名がついています。



◆ 大王杉

 午前11時00分
(出発からの所要時間 3時間45分)

根廻り43m、樹高24.7m、樹齢3000年、胸高直径3.53m。
縄文杉が見つかるまで、屋久島でもっとも巨樹として君臨していた。



◆ 夫婦杉

 午前11時10分
(出発からの所要時間 4時間55分)

樹齢2000年、どちらか一方から出た脇枝が相手の幹に喰い込まれて、手をつないだ姿をしているのでこの名前がついている。



◆ まぐろ杉

 午前11時27分
(出発からの所要時間 4時間12分)

 マグロに喰われる中年登山男



◆ 縄文杉ー1

 午前11時38分
(出発からの所要時間 5時間18分)

標高:1300メートル、
幹周:16.1m、 樹高:30m、根廻り43m

1966年5月、上屋久町小杉谷で、縄文杉が発見された。発見された当時は、発見者(岩川さん)の名前をとって大岩杉と呼ばれていたが、取材した新聞記者が縄文土器の火焔土器に似ているということからこの名前を付けたと言われている。
推定樹齢は7200年、世界最古の植物ともいわれているが、あくまで推定樹齢、確かなことはわからない。

 現在、縄文杉は一般の人の手には触れることができません。というのも、木の廻りを皆伐されたため、多量の雨と強風により土が流され根が露出し、さらには登山者が根を踏みつけるという状況が縄文杉を倒壊の危機に直面させていたからです。現在は、木の15mほど手前に設けられた高台から望めるようになっています。


◆ 縄文杉ー2

 1966年に見つかった縄文杉(大岩杉)の樹齢は、当初は発見者岩川さんの推定で6900年とされていました。その後1976年に九州大学助教授真鍋さんは、多くの杉の幹の生長と気象との関係から7200年と推定しました。しかし、この樹齢にいくつかの疑問の声があがりました。

その一つとして、1984年環境庁が屋久島の地質を調べた結果、6300年前の火砕流の跡が見つかったことで、屋久島の北西50kmにあった硫黄島付近で火山の爆発が起こり、火砕流が海を渡って屋久島を直撃したという説が出てきたのです。その時、高熱によって、屋久島の植物も全て消え、縄文杉も被害を受けていただろうと発表しました。そうすると、縄文杉の樹齢は6300年では?と考えることが出来ますが、他の地質調査から、火砕流の被害を受けてから杉が発芽するためにある程度の時間を要した(1000年くらい)と考えられています。そうなると、縄文杉の樹齢は6300年よりもさらに若いということになります。

林野庁の調査により学習院大学教授木越さんが科学的な方法で縄文杉の樹齢を割り出しました。放射性炭素を使った測定法(炭素14編年)で、木の中に含まれている炭素14という原子の数を測定すると、毎分15個ずつ減っていくことがわかっています。これを利用し、縄文杉の木片の炭素14の数を調べるとより正確な樹齢が分かるというものです。結果、1920プラスマイナス150年前後、つまり多くても2170年になりました。しかし、縄文杉に限らず屋久杉は、中が空洞になっており、内部を腐らせて栄養を必要な部分に集めるため、一番古いところのサンプルが存在しません。つまりこの実験でも正確な樹齢は割り出せませんでした。

また、樹齢の割に樹高が低いことから若い木(2000年程度)が2本融合して、現在の縄文杉になったのではないか?という説もでました。しかし、これも、鹿児島大学農学部助教授林さんのパーオキシダーゼ・アイソザイム分析の結果、縄文杉は一つの木であるということが証明されています。

様々な調査の結果、縄文杉は、硫黄島付近の噴火の際に倒れた前代の縄文杉の上に立った2代目の杉であるのでは?と考えられ、被害をうけてから1000年近くは杉が生長することが出来なかっただろうという推測の元、推定樹齢4000年から多くても5000年ではないかとされています。しかし、はっきりとした樹齢を示す説がない以上、7200年も間違いではないのかもしれません。



◆ 縄文杉ー3
◆ 縄文杉ー3

もののけ姫の「こだま」突如 出現!

  こだま(木霊)は一種の精霊のようなもので、豊かな森に棲む。
淡い緑色をした、半透明の体を持つ。
森の中で迷ったアシタカを導くなど、特に人間に敵意を持っているわけではないようだ。



◆ 妊娠(?)杉



2011年09月23日