No.157 《吉備津彦神社》

〔岡山県岡山市北区一宮1043〕
【平成26年2月2日(日)撮影】


● 吉備津彦神社

岡山市西部、備前国と備中国の境に立つ吉備の中山(標高175m)の北東麓に東面して鎮座する。
吉備の中山は古来より神体山として信仰されており、北西麓には備中国一宮・吉備津神社が鎮座する。
当社と吉備津神社とも、当地を治めたとされる大吉備津彦命を主祭神に祀り、命の関係一族を配祀する。

大化改新を経て吉備国が備前・備中・備後に分割されたのち、備前国一宮として崇敬された。
中世以後は、宇喜多氏、小早川秀秋、池田氏など歴代領主の崇敬を受けた。

主祭神大吉備津彦命 (おおきびつひこのみこと)
第7代孝霊天皇の皇子。大吉備津日子命とも記し、別名を比古伊佐勢理比古命とも。崇神天皇10年、四道将軍の一人として山陽道に派遣され、若日子建吉備津彦命と協力して吉備を平定した。その子孫が吉備の国造となり、古代豪族・吉備臣へと発展したとされる。


● 鳥居

朝日の宮

夏至(太陽の力が最も強い日―6月21日)の日出には太陽が正面鳥居の真正面から昇り神殿の御鏡に入ることから「朝日の宮」とも称されてきました。この事は古代太陽信仰の原点、太陽を神と仰ぎ日本民族と人類の豊穣発展と幸運を祈る神社として吉備津彦神社が創建されたことを象徴しています。



●随神門(ずいじんもん)

元禄10年(1697年)池田綱政公が造営したもので二柱の門番の神様がお祀りされれいます。


●平安杉(へいあんすぎ)


樹齢千年以上とされる御神木です。昭和5年の社殿火災の火にあぶられ幹の空洞化と老朽化が近年進行し倒木の恐れがありましたが、沢山の皆様からの御寄付により平成16年に大手術治療が行なわれました。

「この大杉に龍の宿る」という伝承があり、吉備津彦神社のシンボルとなっています。


● 拝殿(はいでん)
御参拝の皆様が拝礼し、お祈りされる場所です。


参拝方法(二拝二拍手一拝)
【1】まず深いお辞儀(正式には90度)を二回繰り返します。
【2】次に両手を胸の前で合わせて拍手を二回打ちます。
【3】両手をそろえて心をこめて祈ります。
【4】手をおろし、もう一度深いお辞儀をします。


● 本殿(ほんでん)
現存の本殿は寛文8年(1668年)岡山藩主、池田光政公が造営に着手しその子、綱政公の元禄10年(1697年)に完成した。
流麗な三間社流作りの神殿は飛鳥時代社殿建築の粋がつくされており荘厳華麗にして吉備国の神社建築が伝統とする“流れ造り”の正統な姿を示す社殿としても貴重な建築物とされています。


●大社殿

古代の熱田神宮の社殿配置にならい、本殿、渡殿、祭文殿、拝殿と大社殿が一直線に配置されているのも特徴的です。

右から本殿 拝殿、祭文殿、渡殿、本殿



2014年02月02日